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【第8回】 私がPMP® になった訳

私がPMP® になった訳

 情報宣伝委員会  PMP 土屋 正一

 

 

私は、約10年前に某金融系のシステム構築プロジェクトに携わっていた時にPMPを取得しました。最初に、この時の状況を簡単に説明します。

このプロジェクトでは、私は二次請けのPLとしてソフトウェア開発を担当していました。
当初は、普通のシステム開発プロジェクトだと思っていました。ただ、ワンマンなPMが、一人で顧客の窓口となっており、顧客と決めてきた仕様をわれわれに落とすだけだったため、やりにくいプロジェクトだなぁと思いながらも、着々と進めていたのですが……。

突然PMから「開発中のシステムを横展開する」という号令が下り、実質2つのシステムを同時開発することになった辺りから、徐々にデスマーチが聞こえてくるようになりました。その頃から現場は、まさに修羅場という言葉がふさわしい状況になってきていました。
時間外勤務は大体150~200時間/月で、これが結局2年弱続きました。

プロジェクト開始から1年がたとうとした頃、私はプロジェクトがこんな状況になっていることで、メンバーに多大な負担をかけていることに責任を感じていました。メンバーの頑張りで、スケジュールに決定的な遅れを出すことはありませんでしたが、全員が疲弊しきっていました。自分の力不足を感じ、プロジェクトにデスマーチを鳴らさせないためにはどうすればいいかが知りたいと、本気で思いました。

そんな時にふと思い出したのが、以前会社の上司がPMPを取得し、PMBOK® を社内に紹介していたことです。会社も取得を援助する制度を立ち上げており、多分何かにすがりたい気持ちも後押ししたのでしょう、これを勉強したいという気持ちと、私もPMPを取得したいという思いが強くなりました。

しかし、取りたいという思いはあるものの、勉強する時間があったら寝たいという状況の中、なかなかまとまった勉強時間がとれません。そこで、まとまった時間を作るのは諦め、帰りの通勤電車の1時間弱を使ってコツコツ勉強していくことにしました。それから約半年間、毎日帰りの電車内のみでの勉強を続け、何とか初受験で合格することができました。

半年間、PMBOK® の勉強をしていくうちに強く感じたことは、プロジェクトの成功はいかにしてメンバーを含む関係者の目線・力の方向性を合わせるかにかかっている、ということでした。

このプロジェクトは、詳細設計以降をオフショアで中国に発注したのですが、一緒に苦労しながら外部設計をやり遂げた中国人エンジニアとの間にできた信頼関係が、最後の最後の部分でプロジェクトの崩壊を防いでくれました。本来、信頼は苦労で築くものではありませんが、最後までオフショア先と力を合わせて進められたことと、そのおかげでやり遂げられたということだけは、このプロジェクトで得た良い教訓だと今でも思っています。

ちなみに、今はPMBOK®  について聞かれた時、こう答えています。PMBOK®  は解答ではなく、過去の成功のエッセンスが凝縮されているものである。ツールと技法は、プロジェクトの前提や状況に合わせて選択し、成功の確率を上げていくものである。これを知っている/いない、使える/使えないで、プロジェクトの成功確率に大きな差が出てくるものである。

私自身、理想のPMになれているとはとても言えませんが、反面教師となるプロジェクトを経験し、その上でPMBOK® という道具を手に入れることができたことで、自分に一本芯が通ったように思えます。そして、これが現在の自分のPMとしての行動の元であり、PMP取得を通じて得たものだと感じています。